|
ここ平塚宿や手前の藤沢宿は、鎌倉時代に鎌倉に幕府がひらかれたこともあって、江戸以前にも多くの往来のあった場所です。しかし宿場としての規模としては近隣の宿に比べて比較的小さかったようです。
余談ですが、東海道五十三次についていろいろ調べていくと、艶本にやたらといきつきます。「東海道五十三次」というもあるようです。娯楽はすくなくまた規制の多い時代でしたし、旅は生死もおびやかすぐらい過酷なものでしたので、宿場の遊女の存在はまた今とは違ったものだったのでしょう。「旅の恥はかきすて」といいますが、伝えられている様々な道中記でもそんな話が至る所にかかれています。一応、このホームページでは、読まれる方のことも考えてその辺りは多少は配慮して書いてますが、時代背景的なものもありますので、どうしても避けるわけにはいきません。ご理解ください。
|