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御油宿からわずか十六町(約一.七キロ)、東海道五十三次中もっとも宿場間の距離が短いのが、ここ赤坂と御油の間です。そのため、幕府の伝馬朱印状では御油と併記されることが多く、両宿で一宿とされたこともあります。
広重の「東海道五十三次」にも飯盛り女の様子が描かれているようにまた赤坂宿は歓楽街として名高い宿駅でした。古い記録によれば、各旅籠で二・三人、多いところだと七・八人の飯盛り女が雇われており、この宿は昼間から管弦の音が絶えることがなかったとも言われています。
明治維新以降、鉄道の主路線からはずれたこともあって、御油などとともに赤坂はさびれることになります。しかし今でも町並みが多少残っており、旧宿場では町のそこかしこにかつての面影をみつけることができます。
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