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本陣とは元々の語源は、戦陣においての本営のことですが、それが転じて大名などの専用宿泊施設を指すことになりました。本陣に泊まれることができたのは、勅使、院使、宮、門跡、公家、大名、高家、旗本が原則でした。二者が同宿となった場合は、同格ならば先約を優先しましたが、勅使は別格で誰よりも最優先されました。この場合、先客がいたとしても他に本陣に空きがなければ脇本陣に移らなければなりませんでした。脇本陣は通常は旅籠として利用され、本陣に入りきらない家臣などを宿泊させる施設でした。当然、格は本陣よりも落ちることになります。
また天保年間の記録によれば、本陣は東海道で一宿につき平均二・一軒。中仙道で一軒弱となってます。東海道五十三次のなかでは、箱根宿と浜松宿には六軒というのが最高数で、脇本陣まで含めると大宮宿の十軒が最多となります。
建物的な特徴として、格式を重んじて本陣・脇本陣には玄関と書院がもうけられていました。一般の旅籠にはもうけることは許されてませんでした。
なお本陣の経営者は、たいていがその土地の旧家であるとか資産家でした。そして本陣の主人になると名字帯刀が許されました。しかし本陣は連日のように大名が泊まるということは当然ありえず、経営自体は一般には苦しかったようです。
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本陣で休息する様子
「東海道五十三次の内・関宿」 |
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